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                       【  宇治川太閤堤跡現地説明会へ  】

  宇治川太閤堤跡は、平成19年度に実施した「乙方遺跡」の発掘調査で発見された遺跡で
  豊臣秀吉が伏見城築城後、宇治川を改修するために築いた堤防と言われています。

  琵琶湖から流れ出る唯一の河川である宇治川(滋賀県では瀬田川)は、安土桃山時代以前、
  宇治橋を過ぎると幾筋もの川に分かれて西に向かい、巨大な湛水域「巨椋池」を形成していました。

  秀吉は、その宇治川を宇治堤(槇島堤)によって一本の川として巨椋池と切り離し、小倉堤により
  大和街道から伏見に物流や人を誘導したと言われています。

  平成21年 7月、国の史跡に指定されました

     巨椋池と太閤堤の位置 (16世紀)
      赤い部分が太閤堤跡
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  検出された堤の遺構には、「護岸」と水流を調節する「水制」があります。
  護岸は直線的に約400m続くと考えられます。
  護岸は本来の地形を反映し、工法を変えて造られています。

  「水制」には石出しと杭出しがあり、石出しは約90m間隔で4箇所確認されています。

  ☆ 今回は下図の石出し2・3・4の3か所の説明がありました。 
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     『 石出し2 』「後方は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓といわれる」
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   「石出し2」は他の石出しに比べ、上流側から先端にかけての崩落が激しい。
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     『  石出し3  』
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   天端には立派な石張りがみられ、石出しにも護岸と同じく石張りが
   施されていた可能性が高い。
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     『  石出し4  』(京阪宇治駅西側)
   付近には張り出した擁壁が、地形の名残りとして残されていた。
   その川側で多量の捨石を検出したことで「石出し」の存在が確認された。
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  秀吉がくにづくり構想をどのように描いていたのか、研究が待たれるところですが、
  それにしても左岸は発掘調査もなく埋め立てられてしまっているのが残念なことです。
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by shelly80 | 2009-12-13 00:06 | 宇治
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