≪ 寝台特急でアスワンへ ≫ 出発が1時間ぐらい遅れるのはざらだと聞き覚悟を決める。 15分ぐらいの遅れで出発できることとなった。 ”Very Lucky” 今までに乗ったスペインの新幹線「アヴェ」・スイスの氷河特急 などには到底及ばないが・・・、ともかく無事出発できてよかった。 座席をベッドになおしてもらって横になるが、とても寝られそうにない。 うつらうつらしているうちに外がぼんやり明らんできた。 「エドフ駅」 12時間の長い列車の旅を終え無事「アスワン」着。 ********************* 1996年ルクソールのハトシェプスと女王葬祭殿でのテロリストの銃撃事件が あってから、観光客の安全のためここ「アスワン」から「コンボイ」という護衛付の 陸路移動となる。決められた時間に決められた場所にバスが終結して移動。 前後を警察が護衛して何台もバスを連ねて移動することとなる。 私たちのバスにも警官が同乗することとなる。 ********************* 『 石切場 』 アスワンは花崗岩の産地。ここからナイル川増水時に石がエジプト各地へ運ばれ 「神殿」「ピラミッド」の建設に使われた。 古王国時代から開発されていた石切り場には今でも「切りかけのオベリスク」 が残っている。 途中ひびが入ったため断念した。 人々が見下ろしているのが「切りかけのオベリスク」 長さ:41.75m、 重量:1168t と推定される。 ≪ アブ・シンベルへ ≫ 砂漠の中を3時間ほどバスに揺られてエジプトの南端の町「アブ・シンベル」へ。 途中蜃気楼が浮かび上がって見えた。 石造りのロッジ風のホテルの部屋が並んでいる。 白いブーゲンビリアーゲンビリアの花に 囲まれた可愛い部屋で一息。 南の国・アブ・シンベルのブーゲンビリアの花の色が鮮やかだ。 ******************** 『 アブ・シンベル神殿 』 新王国時代、BC1250年ごろラムセス2世が建造。 太陽に輝くヌビアの地をこよなく愛した王はここに巨大な神殿を造り上げた。 砂漠に埋もれた神殿を発見したのはJ.=L.ブルクハルト。 そして、1960年代にはアスワンハイダム建設の水没の危機に晒されたが、 移築され現在に至る。 神殿の前には「ナセル湖」が広がっている。 「大神殿」と雲 『 大神殿 』 ラムセス2世の像が4体。(左から20代・30代・40代そして80代といわれる) 太陽を頂く「ヒヒ」。 この下に入口がある。 台の下、 ホルスとヒエログリフ 『 小神殿 』 左右にラムセス2世が4体。その間に最愛の妻「ネフェルタリ」(最も美しい 女性の意味)2体。その足元には王子・王女の像がある。 『 ナセル湖の夕景 』 夕食の後、神殿のショーへ ≪ 音と光のショー ≫ 神秘的な音と共に漆黒の闇に神殿が浮かび上がる。 「ラムセス2世とネフェルタリ王妃の物語」が日本語で語られる。 あっという間の30分間でした。 ******************** 「アブ・シンベル」の観光の目玉は一つ、この神殿だけ。 明朝は頑張って早起きして「アブ・シンベル」の夜明けに期待しましょう!
by shelly80
| 2008-03-11 23:42
| 海外旅行
|
カテゴリ
以前の記事
2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||